Andante Diary

毎日を哲学しながら一歩前進の記。たまにフィクションもあるかも。

オーストラリアで手術をすることになった話②

手術をすること自体は、そんなに不安じゃなかった。

 

元々、結婚願望も子供が欲しい欲もあんまり無い方だから、妊娠できない身体になることになっても、女性として失格だとか一切考えなかった。笑

 

とにかく、お腹の痛みが消えるなら、それでいい。

ずっとポーチのロキソニンが無くなったら…って考えてビクビクするより、全然マシだと思った。

 

ただ、手術の翌週は学校に行けなくて、授業について行けなくなるのは嫌だなあとは思ってたけど、授業は何かしらの形でキャッチアップできるし、猪木さんじゃないけど、元気じゃなければ何にもできないなあと思ったら、諦めがついた。

 

一緒に来てくれた通訳のおばちゃんは、私が淡々と事実を受け入れて、あっさりと日程を決めたのに驚いたらしい。笑

だいたい同じように手術をしないと治らないと宣告された女子は泣いたり、落ち込んだりするそうだ。

 

そりゃあ、日本と環境も違うし、手術するかしないかなんて、人生の中で数えるくらいしかないことだと思ったけど、何かあったら怖いと思って入った海外旅行保険が無制限保障プランだったので、お金の心配はしなくてよかったし、あとは先生がヤブじゃないことを祈るだけだなと思った。笑

 

今回面白かったのは、紹介されて行ったボスキー先生というインド人の先生は、特にどこの病院に属しているわけでもなく、開業医で診察だけをしているわけでもなくて、普段はセントビンセント病院にいるのに、なぜか私の手術をするために、エプワース・リッチモンド病院に来ていたことだった。

 

病院に先生が紐づいてないらしい。。。

 

そして、病院からの請求書はボスキー先生の手術費用・麻酔科医ビンセント先生の麻酔代・病院の施設利用料とそれぞれ別に分かれていた。

病院の施設利用料は結局最後まで私のところに請求書が来なかったので、いくらになったのか分からないけど、手術費・麻酔代だけで18万円くらいはしているので、保険料のほとんどは元が取れたと思う。笑

 

請求の交渉とか大変だったと思うけど、ただ何となく「大好きなオールブラックスのスポンサー企業だし、AIGに入ろ~」って選んだAIGは、仕事が早くてめちゃくちゃ親身だった。

 

手術を決めたのは休み中だったので、仕事探しに奔走したり、気分転換にブリスベンに行ったり、休みが明けてからは普通に学校に行って授業を受けているうちに当日を迎えた。